日本製水蒸気蒸留装置:蘭引

元 ポーラ化成工業(株)研究所 佐藤 孝(2013.9.)

 

 調香、香料、フレグランスの話題という、とどうしてもフランスを中心とした西洋的なイメージが付きまとうことが多いようですが、日本の話題に触れてみたいと思います。

 

 江戸中期から明治ごろまで、ランビキといわれる日本製の陶器の蒸留装置があったことをご存知でしょうか。蒸留装置というと香料採取、また、ウィスキーや焼酎の製造等を思い浮かべる方が多いと思われます。ランビキも蒸留装置という点では理論的には、香料を採る大きな蒸留装置と変わりません。

 

                

                       京都 粟田焼(著者所有)                   産地不明(著者所有)

 

伝来と用途

 

 日本で焼酎が造られたのは16世紀頃といわれています。また西洋式の蒸留装置は、記録の上では寛文12年(1672)に、東インド会社を通じて

出島に初めて導入されたといわれています。

 

 日本の医師は19世紀まで、比較的扱いやすく価格も安い陶器製ランビキを薬油と蒸留酒の製造に使っていた

という報告もありますが、ここで言う蒸留酒の製造といのは、酒から蒸留しアルコール濃度を高めたものを

蘭学医などが消毒に使用するとか、傷んだ酒を蒸留して飲んだとも、更に調査をしていくうえで

ランビキの用途には色々あることが分かってきました。

 

ランビキの名前の由来

 

 ランビキの名前の由来は、ポルトガル語のAlambique(アランビック)に由来しているといわれています。しかし日本の陶器製の小型蒸留装置のランビキは、その構造が西洋の蒸留装置よりも、中国・アジアの焼酎の蒸留装置によく似ています。従ってポルトガル人が本国からではなく、途中のアジアから持ち込んだという説もあります。

 

 また、ランビキを使用していたのが、蘭学者や薬種商などであったことや、当時蘭学など西洋かぶれのことを蘭癖(らんぺき)と呼んでいたことなどを考えると、「蘭学で(もしくは蘭学者が)使っていた蒸留装置」なので「ランビキ」と呼ばれるようになったとも考えられます。

 

日本のローズエッセンスとローズウォーターの香りは?

 

 ランビキという文字は、平賀源内(1728~1780)の『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763年)巻の一に、次のように掲載されています。

「薔薇露(しょうびろ)前略~此ノ物ランビキヲ以テ薔薇花ヲ蒸シテ取リタル水ナリ。」薔薇露は、今で言うローズウォーターの様なものです。

 

 現代の蒸留技術を駆使しても、水蒸気蒸留で採取されているブルガリアンローズの場合、花びら3t(トン)から1kg(キログラム)、 1400個の花から1g(グラム)の精油しか採れず、収率は三千分の一と言われていることからみても、おそらくこの装置は、精油を抽出できるほど大掛かりなものでなく、ローズウォーターという蒸留水が主な目的にあった小型のものと思われます。しかしランビキがどのような形で、どういう材質のものであったか、つまり陶器製だったかは『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』からは判別はできません。

 

  更に、時代は下がり文化10年(1813)に発刊された、『都風俗化粧伝』(みやこふうぞくけわいでん)の「第七 身嗜之部(みだしのぶ)花の露伝」にはランビキを使用して花の露(今で言う化粧水)を作製する方法が説明されています。ランビキがない場合には茶碗とヤカン(薬鑵)を使用して作成する方法まで図と一緒に書かれています。

 

  「頼山陽(らいさんよう)書翰(しょかん)集」(天保二年(1831)八月九日付母梅(ばいし)宛)には、遠距離の故郷広島の母親に酒を送ると、夏場はとくに酒が傷んで酸っぱくなったようで~。「中略~もっとも残念なのは、剣菱(伊丹の酒)の腐敗で、回復は無理だと思っているが、医師の星野などに御頼みになり、ランビキにかけて焼酎にすれば、一斗から一升位は採れるだろう。まだ腐ってない酒気(アルコール)だけが上へ上るので、毒では無い。」という内容が書かれています。

 

蘭引が繋ぐ、香りと医学の深い関係

 

 蘭学を学んだ蘭学医はノイバラの花の盛りに花を集めてランビキで蒸留、ノイバラ水を造って眼科医療に使ったとのこと等々。大分県中津市大江医家史料館、内藤記念くすり博物館(岐阜県各務原市)、名古屋市立博物館等にも現在ランビキが保管されています。また、化粧品会社、お香会社、香料会社、歴史博物館等にも保管されています。最近では、漫画「JIN-仁-(村上もとか作)」の1巻(集英社文庫コミック版)にランビキで手術用の焼酎(アルコール濃度を高めたもの。)を造っているというシーンが出ています。まだまだ、蒸留技術が色々な所で役に立っていたことはあまり知られていません。 

 

現在は製造されなくなったランビキ

 

 ランビキは、京都の粟田焼や尾張徳川藩の御用窯「御深井(おふけ)焼」(愛知県)、そのほか数カ所の地方の窯でも焼かれていたようです。最近は博物館で小型のレプリカがミュージアムショップで販売されていたり、個人的に陶芸家の方が作られているくらいしか目にしません。残念ながら、現在は昔のように実用品として製造されることはありません。

 

 ランビキがどのようにしてこの形になったのか、どういう人物(蘭学医・者等)がどういう陶工に作らせたのか、道具であるのに花の絵が描かれている装飾性を持っているということも、あまり見られないことです。知ろうとすればするほどミステリーはつきません。

 

ランビキ使用による蒸留実験とまとめ

 

 ランビキについての調査及び実際にランビキを使用して植物を抽出した報告の機会を得ましたが、まだまだその当時の原料を調達することの難しさ、温度設定の管理から水の量、原料の量をどのくらい使用したらよいのか、江戸時代の文献には事細かく書かれていないので試行錯誤の繰り返しでしたが、バラの花びらから抽出することができました。

 

おわりに

 

 日本の江戸時代にランビキがあったことに改めて製陶技術もさることながら、医学、化粧、精油エキス採取の分野に貢献したランビキを風化させたくありません。西洋に習うことばかりですが日本にもこのようなものがあったということを知っていただければ幸いです。

さらに私のランビキ調査は今でも継続しています。