調香師 戸塚 誠司(2014.5.)
NHKのBSTVで「世界ふれあい街歩き」という、各都市の街並みや観光名所を紹介する旅番組があります。先日は南フランス カンヌの紹介でした。TVからでしたがカンヌの街並みを観て、昔、MOUGINSにあるARGEVILLE社に香料研修へ行った日々を想い出しました。
ARGEVILLE社はグラースとカンヌの中間位に位置する会社で、研修の無い休日にはカンヌまで車で遊びに行っていたことを懐かしく思いました。このTVを観て40年前初めて香料研修に旅立った日のことを想い出してみることにしました。
南仏:当時のARGEVILLE社調香室
出発の日
私は海外に行くのは初めてで、パスポートや国際免許を取りに行ったり、天然痘の予防接種を受けたり、東京銀行(当時の外貨取扱は東京銀行)でトラベラーズチェック(当時のレートは1ドル308円、1フラン67円)を購入したり、長い出張になるので下宿先を引き払ったり、出張準備に追われた毎日でした。
1974年(昭和49年)5月21日出発の日、大阪は曇り、東京に着いても雨の鬱陶しい天気でした。あの当時は社員が海外出張に行く時、上司、同僚、友人達大勢で伊丹空港まで見送りに来てくれました。大阪伊丹(当時の大阪は伊丹だけで、現在の関空はこの20年後1994年開港)はヨーロッパ線が無く、東京羽田(東京も国際空港は羽田だけで、成田はこの4年後の1978年に開港)まで行き北回りのヨーロッパ線に乗り換えて行く方法しかありませんでした。近年、羽田空港も増築され、国際便が増えているようですが、当時の羽田空港は建物こそ古かったですが、
異国情緒の漂う趣のある国際空港でした。
夜になると雨はひどくなり、天候悪化ためパリ行きの便は遅れていました。東京の両親、兄妹、友人達も見送りに来てくれましたが、悪天候の影響で出発が深夜になるため帰宅してもらいました。待合室で一人ポツンと待つことになり、回りは外人さんばかり。日本人の姿はビジネスマンらしい人がちらほら、何だか心細かった事を思い出します。緊張ぎみで出国手続きの順番を待っていると、列の前に居た外人さんが燻らす葉巻の匂いに圧倒されて、早速異国に行かされた気分になりました。税関通過前、通過後の出発ロビーの雰囲気や、匂いも違いました。まだ日本国内にいるはずなのに、言葉では表現しにくい、日本の匂いとはどうしても「違う匂い」を感じました。周囲に漂う体臭と香水の匂い、ここに居るだけで海外旅行の雰囲気に浸った感じでした。
羽田―アンカレッジ
日付が変わる頃には天候も回復し、英語とフランス語で搭乗の案内がありました。あの頃の羽田空港は今のように出発ロビーから蛇腹の通路を通って直接飛行機に乗り込むのではなく、待合室の階段を降りたところに横付けされた扉の広いバスに乗り、そこからジャンボ機が駐機している滑走路まで移動、タラップ前で傘を渡され、濡れらながら乗り込みました。バスを降りてタラップを上がる時に、雨の中サーチライトで照らされたジャンボ機を見上げ、「キーン」というやかましいエンジン音を聞いて、「こんなでかい金属の塊が空を飛ぶのかな?」と心配でした。当時としては最新鋭のジャンボジェット機でしたが、最近は燃費の問題などで日本の航空会社からは姿を消したようです。
ジャンボ機は羽田を出発、北上しアラスカのアンカレッジに向かいました(現在、ヨーロッパ主要都市へ行くにはシベリア上空経由の直行便があり、アンカレッジ経由のヨーロッパ便はありません。当時ソ連共産圏と西側資本主義圏は鉄のカーテンで仕切られた冷戦状態の影響で、シベリア上空の飛行は許されず、モスクワ経由が義務付けられていたそうです。当時、パリまで17~18時間かかっていたのが、今では直行便で12~13時間、ソ連崩壊後のヨーロッパ行きは5~6時間短縮されました)。
機内に入り着席、周りは外人さんばかりでしたが、乗務員の日本語アナウンスで緊張は幾分おさまり、機内食とワインであっと言う間に寝てしまいました。アンカレッジ国際空港到着前に目が覚めて、窓から外を見ると白い氷原が眩しかった記憶があります。アンカレッジでしばしの休憩です。ここはヨーロッパやアメリカの主要都市からやって来る航空機が給油で寄港するため、各国エアーラインの乗務員が乗り降りして、色とりどりの制服を見ることが出来て目の保養になりました。
アンカレッジを後にして、次の寄港地ロンドンヒースローに向かいました。席に着いてしばらくするとまた機内食が出ました。狭い座席で「食べるか」「飲むか」、まるで鳥籠に入れられたブロイラーのようで、食欲は無く、ビールとワインですぐ寝てしまいました。ロンドンが近づくにつれて、これから先の事を色々考えると緊張してくるのがわかりました。
ヒースロー到着、ここでもしばしの休憩です。アンカレッジでは特に感じなかったのですが、ヒースローは日本と違う匂いがしました。トランジット待合室は英語だらけで日本語を聞くことはありません。「言葉通じるのかな?」と心配でした。いよいよヒースローを発って次はフランス上陸です。パリ行きの機内に戻ってビックリ、大半の乗客がヒースローで降りて、パリ行きには外人さんがチラホラ、日本人は私一人だけ、本当に心細かったです。
いざフランス上陸
ロンドン⇒パリ間は2時間ほどの飛行時間でした。いよいよパリそして最終目的地ニースです。ただ、私の乗った飛行機はオルリー空港着で、ニース空港に行くにはシャルル・ド・ゴール空港まで移動しなくてはなりません。羽田を発つ時から聞いていたのは、CD空港はまだ出来て2ケ月ほどの新空港、「情報があまり無いのでオルリーからドゴール移動はちょっと大変ですよ。」と。 オルリー到着後、トラベラーズチェックをフランスフランに交換して重い気持ちで出口に向かいました。
出口の方にエールフランスの制服を着た金髪フランス人女性が「ムッシュ トツカ?」と声をかけてくれました。いきなり自分の名前が呼ばれてビックリ。多分フランス語で「アッチで誰かが待っているから?」とか何とか言ったのだと思います。言われるままその女性に付いて行ったら、その先に大柄のオジさんジャック・シュリンジャー氏が「HEY GOOD BOY!」とニコニコしながら出迎えてくれました。
ジャック・シュリンジャー氏の会社BIG FILSは動物性の天然香料を扱う会社で、当時種村商会さんが日本の代理店をしていました。山本香料から種村商会さんを通じてジャックさんに「戸塚をよろしく」と連絡が行っていたそうです。一人旅で右も左もわからない、しかも頼りにならない英語、本当に助かりました。ジャックさんの車でパリ市内を通り、円形の新しいドゴール空港まで送ってもらいました。
ニース行きの待合室は羽田やヒースローの待合室の客筋(ビジネス)と違い大半が観光客でした。ほとんどが年配者で、コートと帽子でしっかり防寒した方、半そでに短パンの身軽な方と、ちょっと変な感じでした。フランスの国内線が全部そうなのかは分かりませんが、ニース行きの座席は番手が決まっていなく、「勝手にどこでも座ってください」とのこと、アバウトです。「パリ⇒ニース間は風が強く、飛行機が上下して酔うかも?」と聞いていましたが、良い天気でした。
東京を発つ時は大雨でしたが、パリ、ニースと晴天、聞いた通り紺碧の海を眺めながらニース空港に到着。飛行機が制止し、ドアーが開いてタラップを降りる時のムっとした暑く乾いた空気の匂いが何ともエキセントリックで、今でも忘れることの出来ない匂いです。
40年前の5月21日、夜中に東京を出て、アンカレジ⇒ヒースロー⇒パリそしてニースまでの道すがら、その土地、その時々の匂いを感じて来ましたが、やっと長い一日が終わりました。お疲れ様。
ジャック・シュリンジャー氏と共に
研修当時:フランス グラースARGEVILLE社の事務所&分析室にて